自然は偉大なチャーチスト

自然と人間が為す相場との関係を考察するブログです。

賢者は歴史に学ぶ

相場格言」というのがある。長年相場にさらされ、実際に憂きも甘きも知り尽くした“相場師”たちが、後世の人のためにアン・オフィシャルに残してくれたものである。

 

その中で個人的に、気にいっているのが、いくつかある。

 

「温故知新」

「歴史は繰り返さないが、しばしば韻を踏む」

「愚者は経験に従い、賢者は歴史に学ぶ」

 

 大きな相場変動に見舞われたとき、相場の専門家たちがまず調べるのは、過去の似たケース。新しい事態は過去の韻を踏むのか、異なる場合は何が異なるのか、を突き詰める。時代が変わっても、科学や技術が進歩しても、相場自体を人間がやっている限り、人間の性質、市場の本質は変わらず、究極は、人間らしさが相場に現れてしまう。

 

 「相場は自然に従い、歴史を繰り返す」

 

 

今年の相場は、コロナ禍で暴落し、各国の政治・経済政策から急反発しました。

 次のステージを仮設として想起するため、さらに、油断なく備えるため、相場暴落の歴史をさかのぼり(これで3回目だが)、1)2008年のリーマン危機、2)2000年のITバブル破裂崩壊、3)1929年からの世界大恐慌時と比較し分析してみた。

 

1)リーマンショック時との比較

 

 コロナショックに襲われた株式相場は、2020年2月下旬から1カ月ほど急落し、その後、急回復しました。

 

<S&P500株式指数の推移>

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リーマンショックは、米リーマン・ブラザーズ社、1社の名前を冠して語られますが、欧米の主要金融機関のほとんどが過剰にリスク取引を膨らませて、破産し、市場のバブルが破裂したショックです。金融機関の機能不全はマネーの滞り、さらに逆流を生じさせ、経済社会に広く深刻な事態をもたらすと危惧されました。

 

<TEDスプレッド>

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当時、米バーナンキFRB議長を筆頭に、1930年代の世界大恐慌を研究する権威たちが政策中枢におり、適切な財政・金融政策を打ち出せば危機を回避できるという考えを実行に移しました。ただし、金融の機能不全は伝播が速い一方、こうした政策も初の試みであり、民主主義の決定プロセスでもたつく場面もありました。結果として、「100年に一度」級と言われた危機を回避しましたが、株式市場が政策を好感して金融相場を始動させたのは半年後のことでした。

 

<社債スプレッド>

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一方、コロナ禍では、突然の経済活動停止、需要喪失に見舞われました。株価は急落し、資金繰りが懸念される企業のデフォルトリスクもにわかに高まりました。ただし、金融機関は比較的健全であり、政府・中央銀行も極めて迅速に政策総動員に動いています。金融市場の緊張も、企業の信用リスクもいったん抑えられました。そこに、欧州や米東部での新型コロナウイルス感染第1波のピークアウトが重なり、株式相場の反発が早められた感があります。

 

 リーマンショックがもっぱら金融部門の危機だったのに対し、今回のコロナショックは企業や家計を巻き込む経済社会の危機であり、まだ継続していることです。そして、コロナ禍の政策対応がはるかに迅速で大規模な一方、経済社会に巨額の債務を課して、その重しが中期的に顕在化するリスクです。

 

 


2)ITバブル時との比較

 

 1999年からの株式市場は、ITバブル、別称ドットコム・バブルと呼ばれ、急上昇しましたが、2000年9月から反落に転じました。ITバブルの前には、1997~1998年のアジア危機、ロシア危機を経て、過大な投機的投資をしていた巨大ヘッジファンドが破綻に追い込まれました。日本でも巨大銀行、証券会社が相次いで破綻し、金融危機の様相を呈した時期です。これに対応して主要中央銀行が積極的な金融緩和策をとったことが、バブルの発端です。当時は、IT、インターネットの発展・普及期と重なって、○○ドットコムとか××通信などという名前だけでも投資家が殺到し、株価が急騰しました。

 

<S&P500株式指数の推移>

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この相場のピークアウトの一因は、FRBの金融引締めへの転換です。コロナ禍のように突然のショックに見舞われたものではないため、両ケースの相場軌道は当初からかなり異なっています。今回も、米国のGAFAMが急騰していることもあり、当時のITバブルとその後のバブル崩壊の局面がよく比較されますが、本質的には異なります。ただ、教訓として留意すべきことが二つあります。

 

 第1は、コロナ禍で生じているIT、クラウド、テレワーク、サイバーセキュリティー、医療、バイオなどのテーマ株への殺到との類似。

 2000年前後のIT株投資も時代観としては正しいテーマだったと言えます。ただし相場が過熱し、銘柄の吟味もなく付和雷同的に飛び乗った相場は、短期間のうちに割に合わない高水準まで祭り上げられてしまいました。

 

 第2は、伸びきった相場を終わらせたきっかけが、ささやかな金融引締めだったということ。市場が実体経済から乖離して、政策期待で走る金融相場には、こうした脆さがあることを心にとどめく必要があります。

 

3)1929年〜世界大恐慌との比較

 

 米国の政策当局者は、1930年代の政策対応の失敗が大恐慌を招いたとの教訓から、リーマンショック時でも、現在のコロナ禍でも、財政・金融政策をこれでもかと発動し、相場の下落、経済の悪化を阻止するようになっています。阻止に失敗すると、1930年代のように立ち直りが利かず、社会的にも政策的にもはるかに大きなコストがかかると考えられます。この歴史的失敗の轍を踏んだ事例として、1990年代以降の日本の「失われた20年」も教訓とされています。

 

 1930年代の世界大恐慌は、単に株式相場が急落したのみならず、政府は景況悪化で税収が減る分だけ財政は緊縮し、金本位制の下で自由に動けない金融政策は実質引締めに向かうという状況にありました。世界大恐慌は政策の大失敗による人災だったとまで言われることもあります。大恐慌下では、金本位制を止め、為替レート下落、金融緩和が可能になった国から立ち直っていったことが指摘されます。

 

 また米国ではフランクリン・ルーズベルト政権の誕生後、ニューディール政策による需要と雇用の創出へ財政を積極化しました。1935年前後の株価の上昇が示すように、大恐慌はいったん終息しかかります。しかし1937年に、FRBがそろそろいいだろうと、政策の正常化へ預金準備率引き上げという「出口」に動いて程なく、株価は急反落。結局、第2次世界大戦の戦争需要まで、不況とデフレが続く事態になりました。米政府は大量発行する国債金利を抑えるため、FRB国債価格支持策(プライスキーピング)を課し、金融政策を縛り続けました。

 

<S&P500株式指数の推移>

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現在、コロナ禍で空前の財政・金融政策が発動され、中央銀行国債を無制限買い入れするという政策自体をどう収拾するかについても、先の長い課題となり、先々市場を悩ませることになる可能性があります。

 

 すなわち、市場が下落し始めると、今回は時間的には長くなるだろう、ということです。シン・コロナに関しては、世界的に収束の気配はまだみられません。ワクチンが開発されるまでと言われていますが、効果のあるワクチンが完全に創薬されるまでは、かなりの時間を要することでしょう。その間に、経済構造は徐々に変化し、状況に合わない企業の多くは倒産に追い込まれ、失業者もさらに増加する可能性があります。世界経済は疲弊し、各国は孤立し、疲弊度の激しい国は、武力等に訴えるしかない状況になることも想定されます。政策者は、さらに大幅な財政金融政策を取らざるをえなくなりますが、所詮限界はあります。