フェイスブック
ほぼ全方面から圧力がかかる中、フェイスブックはようやく重い腰を上げ、プラットフォーム上の投稿や広告について、憎悪表現や不正確なコンテンツの拡散を防ぐための規制整備に乗り出した。同社は先頃、米大統領選前の1週間は政治広告を禁止するとしたほか、候補者による時期尚早な勝利宣言に警告ラベルを表示する方針を明らかにした。
マーク・ザッカーバーグCEOは今回の新たな措置について、「国があまりに分断」している状況下で、騒乱が起きるリスクに対処するためと説明した。だが、現段階で政治色を薄めるフェイスブックの取り組みはひいき目に見ても効果に乏しく、ユーザーにとって有害な危険さえある。また、フェイスブックの利益も下押しするだろう。学生が友人同士の見栄えする写真を共有する相対的に問題なさそうな場として出発したフェイスブックだが、個人的な情報共有の場から政治活動を行う場へと進化した。
その一例として、フェイスブックのアプリに毎日ログインする18億人近いユーザーの大半は、まさに政治議論のためか、少なくとも一定程度の議論に参加する意欲を持って利用していることが挙げられる。選挙関連のニュースであれ、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関する意見や社会正義の実現を目指す募金活動や写真であれ、フェイスブックのプラットフォーム上から逃れることはほぼ不可能だ。
一方で、偽情報を制限するフェイスブックの取り組みが、むしろ政治的な分断をさらに増幅させることもあり得る。例えば、米国内のユーザーのフィード上部に投票に関する情報をバナー表示すれば、パンデミック(世界的な大流行)の状況下でいつ、どのように投票できるのか、周知を徹底する一助になるだろう。だが、最初から政治的な意図を持ってアプリを利用するようユーザーを誘導することもにもなりかねない。その一方で、政治広告を非表示にできる機能により、ユーザーは友達が共有したものだけを目にすることになり、(価値観の似た者同士の間で特定の見解や考えが増幅されていく)「エコーチェンバー(反響室)」効果が永遠と続くことになる可能性もある。また、有害な投稿コンテンツに警告ラベルを表示すれば、自分たちの意見は不当に抑え込まれていると訴える向きに、その証拠を与えることになってしまうかもしれない。
問題の核心は、政治と個人の境界が曖昧になっていることだ。パンデミックとリセッション(景気後退)に見舞われている状況下で、米国内の平均的な市民は大統領選が実施される今年、間違いなく政治色を強めている。ここにきて政治的な見解を示さない個人的な投稿は、それ自体が政治的な立場を表明しているとの意見さえ出ている。ザッカーバーグ氏が言論の自由を担保する対話の場を擁護する考えを示した際、こうしたことは念頭に置いていなかっただろう。これに加え、熱心なユーザーをターゲットにすることで、フェイスブックは今年、800億ドル(約8兆5100億円)の広告収入を稼ぎ出すとウォール街が予想する中で、同社としても過度な変更は避けたいのが本音だろう。
フェイスブックが今後もプラットフォーム全体でどのような対策を打ち出し続けようとも、米国の深い政治的な分断はなくならないというのが現実であり、何が実態で何が見解なのか、明確な線引きを行う簡単な方策はないということだ。最善の警告ラベルは、それをそのまま説明したものだろう。